2021年03月09日
習字の先生に、とてもお世話になった思い出
私が小さかった頃は、女子は大概、習字とピアノまたはエレクトーンを習うのがお決まりな感じでした。
私も習字を習うことになり、母が探してきた書道教室は小学校2年生からではないと習えないと言うところでした。
理由は、字もろくに覚えてなく読めない小さい子には教えられないと言うことでした。
その時は、へ~と思いましたが、今子育てを経験してみて、そして自分なりの考えを持つ大人になってみると、その先生の考え方の潔さに私は惚れます。
先生は、ちょっと厳しい人でした。多分、そんなに褒められたことがないような気がします。
ある日、私は大失態をしてしまいました。帰る時に、ちゃんと硯の中の墨を拭かなかったか、もしかしたら墨汁の蓋をちゃんと閉めなかったのかもしれません、
その辺のことは忘れてしまいましたが、とにかく気づくと私が通った廊下には墨がポタポタとこぼれていました。
でも、先生が怖くて言えず、そのまま帰ってしまいました。
翌週教室に行くと、先生に尋ねられました。それで観念した私は自分がこぼしたことを告げると、先生は怒りもせずに、
『そういう時は言わなければだめでしょ』とだけ言ったのです。とても驚きました。しかも1週間の間、家にも電話もせずにいてくれたのです。
驚きのあまりに、ごめんなさいも言えなかったような気がします。
だからもしかしたら、先生は、それほど怖い人じゃなかったのかもしれません。
でも、どこかに厳しさを感じさせる先生で、末っ子の私はそういう雰囲気を掴むのが早かったので、常にそれを感じて行動していたところも
あったような気がします。
それでも、その先生は、本当によく私のことを見ていてくれたのでした。
「あの子は負けん気が強いから、注意をすると、なにくそと思って直して、次持ってくるんですよ。(だから鍛えがいがある)」と母に告げたそうです。
今までそういうことを他人に指摘されたことのなかった私は、その言葉を聞いて心の中で、とてもびっくりしたのを今でも覚えています。
そして、まさに先生が言った通り、その負けん気がバネになって人生を歩んできたという感じです。
それほど多くは語らなかった先生でしたが、私はそこで6年以上お世話になり、字と精神を鍛えてもらったのは確かです。
数年前に亡くなられたと聞きました。冥福を祈ると共に、今でもとても感謝しています。
今から30年以上も前の話になりますが、小学1年生から6年生まで、書道教室に通っていました。
親が通わせた理由としては 、素養として美しい字が書けるようになって欲しいということだけでなく、私の左利きを矯正したかったからというのもあったと思います。今の子供たちには信じられないかもしれませんが、30年以上も前には左利きの人への差別や偏見が、日本社会には根強くあったのです。つまり、嫌々通わされたのです。そして、私には6年間を通じて、書道への関心はつゆも芽生えませんでした。だから、6年間も通わされ続けた割には、字も大して上手くなりませんでした。
書道教室の先生は、実は私立高校の教員でした。副業として、毎週土曜日の午後にご自宅にて書道教室を開講していたのです。当時はまだ、学校も週休2日制ではありませんでした。土曜日は半ドンで、午前中も学校では授業があったのです。ですので、先生が学校での仕事がやむをえず長引いてしまい、書道教室に先生が不在ということがたびたびありました。その場合には、先生の奥さんが代わりに指導していました。しかし、先生の奥さんは書道に関しては、ずぶの素人でした。
それに、先生自身の書の腕前も、あまり高くは評価されていなかったようです。だから、生徒は少しずつ減っていきました。ついには、たった数人だけになってしまいました。もちろん、私も本当はやめたかったのです。しかし、生徒が数人では、親がそれを許してくれたとしても、かえってやめづらくなっていました。
ある日、教室でたった一人、私が書道を習っていますと、先生にお客さんが訪ねて来られました。そのお客さんも、書道家でした。二人の会話が聞こえて来ました。お客さんは「うちの生徒をあんたのとこに少し回してやろうか?」と先生に言いました。すると先生は、「いいよ。生徒が少ないほうが上手くなるし」と強がりを言っていました。ただやめるきっかけが欲しいとしか思っていなかったので、その会話を聞いて、私は子供ながらすごくいたたまれない気持ちになりました。
私も習字を習うことになり、母が探してきた書道教室は小学校2年生からではないと習えないと言うところでした。
理由は、字もろくに覚えてなく読めない小さい子には教えられないと言うことでした。
その時は、へ~と思いましたが、今子育てを経験してみて、そして自分なりの考えを持つ大人になってみると、その先生の考え方の潔さに私は惚れます。
先生は、ちょっと厳しい人でした。多分、そんなに褒められたことがないような気がします。
ある日、私は大失態をしてしまいました。帰る時に、ちゃんと硯の中の墨を拭かなかったか、もしかしたら墨汁の蓋をちゃんと閉めなかったのかもしれません、
その辺のことは忘れてしまいましたが、とにかく気づくと私が通った廊下には墨がポタポタとこぼれていました。
でも、先生が怖くて言えず、そのまま帰ってしまいました。
翌週教室に行くと、先生に尋ねられました。それで観念した私は自分がこぼしたことを告げると、先生は怒りもせずに、
『そういう時は言わなければだめでしょ』とだけ言ったのです。とても驚きました。しかも1週間の間、家にも電話もせずにいてくれたのです。
驚きのあまりに、ごめんなさいも言えなかったような気がします。
だからもしかしたら、先生は、それほど怖い人じゃなかったのかもしれません。
でも、どこかに厳しさを感じさせる先生で、末っ子の私はそういう雰囲気を掴むのが早かったので、常にそれを感じて行動していたところも
あったような気がします。
それでも、その先生は、本当によく私のことを見ていてくれたのでした。
「あの子は負けん気が強いから、注意をすると、なにくそと思って直して、次持ってくるんですよ。(だから鍛えがいがある)」と母に告げたそうです。
今までそういうことを他人に指摘されたことのなかった私は、その言葉を聞いて心の中で、とてもびっくりしたのを今でも覚えています。
そして、まさに先生が言った通り、その負けん気がバネになって人生を歩んできたという感じです。
それほど多くは語らなかった先生でしたが、私はそこで6年以上お世話になり、字と精神を鍛えてもらったのは確かです。
数年前に亡くなられたと聞きました。冥福を祈ると共に、今でもとても感謝しています。
書道の先生の強がり
今から30年以上も前の話になりますが、小学1年生から6年生まで、書道教室に通っていました。
親が通わせた理由としては 、素養として美しい字が書けるようになって欲しいということだけでなく、私の左利きを矯正したかったからというのもあったと思います。今の子供たちには信じられないかもしれませんが、30年以上も前には左利きの人への差別や偏見が、日本社会には根強くあったのです。つまり、嫌々通わされたのです。そして、私には6年間を通じて、書道への関心はつゆも芽生えませんでした。だから、6年間も通わされ続けた割には、字も大して上手くなりませんでした。
書道教室の先生は、実は私立高校の教員でした。副業として、毎週土曜日の午後にご自宅にて書道教室を開講していたのです。当時はまだ、学校も週休2日制ではありませんでした。土曜日は半ドンで、午前中も学校では授業があったのです。ですので、先生が学校での仕事がやむをえず長引いてしまい、書道教室に先生が不在ということがたびたびありました。その場合には、先生の奥さんが代わりに指導していました。しかし、先生の奥さんは書道に関しては、ずぶの素人でした。
それに、先生自身の書の腕前も、あまり高くは評価されていなかったようです。だから、生徒は少しずつ減っていきました。ついには、たった数人だけになってしまいました。もちろん、私も本当はやめたかったのです。しかし、生徒が数人では、親がそれを許してくれたとしても、かえってやめづらくなっていました。
ある日、教室でたった一人、私が書道を習っていますと、先生にお客さんが訪ねて来られました。そのお客さんも、書道家でした。二人の会話が聞こえて来ました。お客さんは「うちの生徒をあんたのとこに少し回してやろうか?」と先生に言いました。すると先生は、「いいよ。生徒が少ないほうが上手くなるし」と強がりを言っていました。ただやめるきっかけが欲しいとしか思っていなかったので、その会話を聞いて、私は子供ながらすごくいたたまれない気持ちになりました。
Posted by wonderful at 04:05│Comments(0)